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1945年3月10日 ◆東京大空襲◆ 3月10日の下町大空襲は夜間に低高度から1665トンに上る大量の焼夷弾を投下した空襲でした。火災は北風や西風の強風もあって、火災は目標地域をこえて、東や南に広がり、下町の大部分を焼き尽くしました。罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人でした。
長野の義父はラジオで東京で大規模な空襲が起こったことを聞いており、 とても心配していたそうです。 しかし安否の確認もできず数日が過ぎた頃、長野の村に 全身真っ黒に汚れた3人組が歩いてきました。 それを見た義父は初めはホームレスが歩いてきたのだと思ったそうです。
旧東京市って昭和19年11月から何度も空襲にあってるし、いわゆる"大空襲"規模も何度かあったから、3/10だけを取り上げるのはどうかなぁという思いもあるのだけどね 前述の内田百閒が焼け出されたのは5/25の大規模な空襲だったし
東京大空襲 1945年3月10日 1944年11月24日から1945年8月15日まで106回の空襲を受けた 中でも3月10日の空襲だけで罹災者は100万人を超えた「東京大焼殺」 アメリカ軍は早くから江戸の大火や関東大震災の検証を行い、火元・風向き・延焼状況・被災実態などを詳細に分析 木造住宅を狙った「下町空襲」
内田百閒『東京焼盡』 昭和20年3月10日 (前略)午後遅く三時を過ぎて省線電車にて出社す。(中略) 往来の途上にて見た焼け跡は、この前の空襲の後の神田の景色とは比較にならぬひどいものにて、大地震の時の大火以上ではないかと思ふ。いつかは自分の家も焼かれるか知れないとは今迄も考えていたが、
1945年3月10日 東京大空襲 第二次世界大戦中の1945年3月9日から10日にかけて、アメリカ合衆国のB-29爆撃機によって東京市内に行われた大規模な空襲です。この空襲は、戦争中における最も激しい被害の一つとされており、東京市内を中心におよそ10万人が死亡し、数十万人が負傷したとされています。
◉1945 310 東京大空襲 1942年4月18日 – 1945年3月10日 ◉2011 311 東北地方太平洋沖地震